「墓参り」は、どれくらいの頻度で行っていますか。年に1回、命日の頃に行く程度になっていませんか。
私は今まで、年1回くらい義務感から「墓参り」に行く程度でした。
このブログでは、私が「墓参り」に行く回数が増えた、私の考え方をご紹介します。
その考え方は、一言でいうと「感謝」です。
私の「感謝」は、今ある幸せに気づくことでした。
ここでは、どのように私が「感謝」を感じて、「墓参り」に行く回数が増えたのか、お伝えします。
墓参りに無事に行ける「感謝」
我が家の墓は、片道1時間かかる峠の山頂付近の霊園にあります。
そのため、墓参りに行く足が遠のくのですが、年1回だった墓参りが災害の影響で行けない年がありました。
数年前、熱海の土石流も発生した時の大雨の年です。
私の墓参りのルートも、災害による通行止めが数ヶ月間あり、命日近くの墓参りを断念しました。
その時から、墓参りに無事に行けることに「感謝」を覚えました。
「感謝」と考えてからは、片道1時間の退屈だった墓参りも、峠道を気持ちよくドライブできています。
道路にしても、自動車にしても、当たり前と考えるのは慢心だったなと気付きました。
今は、墓参りに無事行って、墓前で手を合わせ「感謝」しています。
平穏な暮らしで健康である「感謝」
墓前で手を合わせて、『家族や周りの人が健康でありますように』と願ったことはありませんか。
私は今まで、そのような健康祈願を墓参りでしていました。
今考えると図々しいことだと思います。
今は、2、3ヶ月のペースで墓参りし、その間の平穏な暮らしを報告しています。
あくまでも健康祈願でなく、『大きな病気、怪我もなく健康で過ごせています。ありがとう』という感じです。
それからは、自分の健康管理は願掛けではなく、必要な時に速やかに病院に行くようになり、普段の暴飲暴食も無くなりました。
「墓参り」に行く時は健康体で居たいと思ってから、「墓参り」が定期的な私の健康バロメーターになっています。
仕事が出来る「感謝」
「墓参り」では、仕事面でも2、3ヶ月の報告をしています。
就職氷河期世代の私は、仕事が失われることを目の当たりにしてきました。
今は年齢的にも、若手の人に教育する立場にもなり、責任も増えてきて、仕事は充実しています。
自分では常識だと思って仕事をしていても、相手からすると高圧的な態度と受け止められることも、たまにあります。
その態度を戒めるためにも、仕事が出来ることに「感謝」し、初心に戻ることが私には必要です。
そこで、「墓参り」で仕事の報告をして、初心に戻り自分を戒めています。
確かに、昔に比べて会社の同僚に「感謝」の言葉を言うことが増えてきたと、実感しています。
まとめ
私は「墓参り」に行くと、今では心がリセットされる気分で、非常に気持ち良い感覚になります。
仕事も家のことも忙しいと「感謝」を忘れることが多いので、忙しい時こそ合間を縫って「墓参り」に行こうと予定を立てています。
「墓参り」に意味を見出すと、「感謝」に満ち溢れているかもしれません。
このブログは、『過去の自分に伝えたい』と思い、書きました。
「墓参り」の考え方は、人それぞれだと思いますが、「墓参り」に行く頻度が少ない方はぜひ参考にしてみて下さい。
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